この記事のエピソードは旧SMILES@LAで紹介したことのあるキム・ケイヴィン氏著の『Little Boy Blue』に掲載されていたものに、当該保護団体のサイトに掲載されている情報などを加えてまとめたものです。一冊の本の中の一章だけのエピソードなのですが、これだけでNHKの朝ドラが一本できそうなくらいのドラマが詰まっています。なんでアメリカの話なのに朝ドラなのよって言われそうだけど、なんかすごく朝ドラのヒロインっぽい話なんですよ(笑)
旧SMILES@LAで紹介したのは、この本の前書き。マイケル・ヴィックのところから保護された犬たちのストーリーTHE LOST DOGSの著者ジム・ゴーラント氏が書いたものです。これもとても素敵なので、読んでいただけると嬉しいです。
(以下、dog actually 2013年4月8日掲載記事より)
犬のレスキュー活動において、マーケティングやマーチャンダイジングといったビジネス的な視点で戦略を立てて取り組んでいくことの大切さは、過去にも何度か書いたことがあります。
これは活動を破綻させることなく継続させ、より多くの犬の命を救い、犬にも人にも住み易い社会を作って行く上でとても大切なことなので、今回はPart2という形でまたご紹介したいと思います。(※再掲にあたって、タイトルを少し変更しました。元のタイトルは「レスキュー活動におけるビジネス的視点Part2」)
今から38年前の1975年、ウォールストリートジャーナルに、ある動物保護団体の記事が掲載されました。ウォールストリートジャーナルと言えば、経済や金融に関する記事を掲載している新聞です。動物保護の話題とはあまり縁がありそうにないジャーナル紙に取り上げられたのは、North Shore Animal League。記事の見出しは『正しい戦略を打ち出せば、3本足の猫にも市場有り。大企業を手本にした小さなアニマルシェルターの成功』というものでした。
North Shore Animal League(以下NSAL)は、世界でも屈指の大規模な動物保護の公益法人ですが、ジャーナル紙に記事が掲載された当時は、まだまだ小さな団体でした。1944年に設立されたNSALは、60年代の後半まで昔ながらの資金調達の方法、富裕層に寄付のお願いの手紙を送るという方法をとっていました。
さてジャーナル紙の記事の主人公であるアレクサンダー・ルーイット氏は、50年代に「アメリカのトップセールスマン12人」という書籍で、ホテルチェーンのヒルトン氏、コカコーラのファーリー氏などと並び称されたこともある人物です。訪問販売のルーイット掃除機は、戦後のアメリカの大ヒット商品でした。
1969年のある日、ルーイット氏は寄付金お願いの手紙を受け取った奥さんから「NSALに100ドル寄付したいのだけれど」と相談を受けました。現代の日本の感覚なら5~6万円というところでしょうか。
ルーイット氏は自分の寄付金がどんな風に使われるのか好奇心がわき上がり、NSALのシェルターを訪ねてみました。そこで会社を経営というもののプロであった彼の目に映ったのは、あまりにもお粗末な組織運営でした。シェルターが開いているのは平日のみ、しかも1日2時間だけ。フルタイムで働いている人間はたった1人。資金繰りに困窮して、電灯を点けておくことさえままならず。とにかく犬を保護するたびに赤字が増えていくという状態を何とかしなくてはと、ルーイット氏は決意したのでした。
彼はNSALの責任者にダイレクトメールキャンペーンを提案指導しました。地元の出版物印刷所に協力を依頼し、子犬と子猫の可愛らしい写真をあしらったDM28,000通を作成しました。DMの内容は「1ドルの寄付をお願いします。この子達の命を救う為に!たったの1ドルです!」そして、当時人気シンガーだったペリー・コモ氏もこの運動に参加しているという写真とサインを掲載する契約も取り付けました。
キャンペーンは大成功でした。集まった寄付金は11,000ドル。現在の価値に換算すると約67,000ドル相当になります。当時66歳でビジネスの世界からは退いていたルーイット氏は、NSALの責任者として組織の立て直しに取り組み始めました。ルーイット氏就任後の5年の間に職員は25人に増え、シェルターは年中無休に、宣伝広告費として毎年50,000ドルを計上するまでになりました。
ルーイット氏は会社を経営するのと同じ手法でシェルターの運営にあたりました。
「シェルターに連れて来られる動物達は"仕入れ"です。新しい里親に送り出すことができれば"売り上げ"。仕入れたものが動かず"在庫"が多くなれば、商品のプロモーションを行って販売促進をする。多くのアニマルシェルターは高い志を持ってはいるものの、資金調達の方法もビジネス的組織運営も知らない人々によって運営されている。彼らが破綻せずに済んでいる唯一の理由は、毎年どこかのお金持ちの老婦人が遺産を残してくれるからです。」
ずいぶんと冷徹で辛口に聞こえるかもしれません。しかし資金繰りがままならず経営破綻してしまっては、しわ寄せが来るのは保護されている動物達です。
ルーイット氏が就任した年、NSALが家庭へと送り出した動物達は年間約2,000頭でした。現在のNSALは年間約60,000頭の動物が入っては出て行くNO KILLシェルターです。ルーイット氏は1988年に79歳でこの世を去るまで、NSALの運営に携わっていました。
ルーイット氏が亡き後も、NSALはビジネス的手法での組織運営を引き継ぎ、今では年間3,000万ドル以上の収支を計上する組織になっています。行き場のない動物達のレスキュー、リハビリ、リホーム、全国のシェルターや保護団体への支援、一般の人々への教育啓蒙活動といったNSALが果たしている役割は、40年以上前にルーイット氏がビジネス的手法で組織の運営立て直しを図らなければ、実現することがなかったものです。つまり大事なポイントは、大きな組織だからビジネス的運営が必要なのではなくて、ビジネス的運営を取り入れた結果、ここまでの大きな組織になったということです。
さて、1975年にルーイット氏のことが紹介されたウォールストリートジャーナルの記事を読んで、大きな感銘を受けた人物がいました。その人の名はシンディ・シャパイロ。ハーバードビジネススクールを卒業したばかりの、25歳のうら若き女性でした。
シャパイロ氏が取った行動は?それは次回にまた、じっくりとご紹介したいと思います。
<参考書籍>
『Little Boy Blue』 by Kim KAVIN
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